松原山 安樂院 歴史・寺宝

松原山安樂院の歴史

 仁和元年(885年)に谷阿上人が、筑前松原の西は大旗浦から東は芦屋津までの三里の白砂無塵の清浄地に寺を建立した。
 境内地は3700坪あり、七堂伽藍を整え、九重の塔を有しており、寺院の西に建てられた塔は夜も灯がともされ、沖を通る船の灯台の役も課していた。これが安樂院の開山である。
 寛喜二年(1230年)に、第18世萬谷上人が入洛したとき、皇太子秀仁親王(後の四条天皇)が御喉気で悩まされていたのを、安樂院伝来の秘薬を献じたところ、たちまち平癒され、その褒美として官女相藤姫を下賜され妻帯を許された。
 徳治元年(1300年)第23世繒阿上人が法相宗から浄土宗に改宗した。
 安樂院は1600余騎の家臣を抱えるほどだったが、天正三年(1575年)第28世空誉上人のとき、大友勢が安樂院に攻め入り、堂塔、伽藍、什器も全て灰燼と帰してしまった。
 元和元年(1615年)源誉上人が再建した。
 安永元年(1772年)、第39世星誉上人が現在地に本堂、庫裡を再建し、その後、幾多の改修はあったが現在にいたっている。

寺宝

木造阿弥陀如来立像

木造阿弥陀如来立像

当寺の御本尊です。印相は、来仰印『下品 上生』。
阿弥陀如来様は念仏『南無阿弥陀仏』を唱える全ての人を区別なくお救い下さいます。

絹本着食色涅槃図 作者『狩野 弥介』

絹本着食色涅槃図 作者『狩野 弥介』

釈迦が沙羅双樹の下で入滅する情景を描いた図。
嘉慶二年(1388年)に岡垣町の指定文化財となっている。

鰐口 作者『益忠』

鰐口 作者『益忠』

鰐口(わにくち)は仏殿の正面に吊り掛けて鋼で打ち鳴らす金属製の梵音具(ぼんおんぐ)の一つです。梵音具とは、音を出す仏具の総称であり、鰐口の梵鐘(ぼんしょう)や雲版(うんぱん)なども代表的な梵音具に挙げられます。
元亀三年(1573年)に作られ岡垣町の指定文化財となっています。

施設紹介

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